BABY-Q
「teletext stereogram」

2001.7/14.(sat) at A.I.Hall(伊丹市)

本番前のダンスの練習の帰りに、気持ちよかったので歩いて難波から天王寺に行く途中、お寺の壁にコラムのようなものがかいてあったのを読んだ。「もらいもの文化」とかかいてあった。内容は、感動も涙も貰い物だそうだ。しかし、そうそう本当の感動は手にはいらない。やっぱり、小説や映画、サッカーの観戦といった形で満足しようとするだろう。だが、今回は何か残る物があった。本番の緊張は薄れてしまったがそれ以上にいい時間を過ごせたと思う。感動もハイリスクハイリターンなのだろう。もちろん一番生きていたのはyoko嬢だとは言うまでもない。少なくはないと自覚する分は、いい感動を共有もし内に取り込めた。記憶にも残った。もらうことは悪いことではない。観客がいなければあげることもできない。すべてがそろってこそいいものになりえると思われる。本番の内容は、BABY-QのHPのほうで何かのアプローチがあると思われるのでここでは、デスロボに限った発言にしたい。デスロボの出演は、公演の中盤であり、巨大な人形が出てきたとろろである。超アナログなマシンになってしまったが、結果反響もよかったので安心はしている。人間が、マシンの一部になって機能を果たすようなものであった。人形の題材になってくれたのはダンサー=yokoと長年共演してきたムサシ君である。加工しているときは久々に楽しかった。マネキンといえども四肢を分解する作業は違和感を感じてならなかったからだ。サウンド=L?K?Oの音は、殆ど耳にはいらなかった。自分自身の方で精一杯であったからだ。その分、L?K?Oがカバーしてくれたのは本当に助かった。ダンサー=yokoとの一応の取り決めもあまり再現できなかったがアドリブでカバーしてもらって助かった。目も耳も足も手も自由に効かない状態であのような場所に突入していったことはよく考えると恐ろしい。本番の観客の目も見えない、状況も判断できない。一歩、間違えればとても孤立したものになってしまったであろう。ステージへの出入りや準備で欠かせなかった問題も月ちゃんがいたからできたようなものだった。後から、振り返るとあの巨大ムサシ人形は、本番あそこにいた人々全員が動かしていたのであろう。私はただ、その中で巨大ムサシ人形の一部となっていた。とても、不思議な感触だった。